2023.11.07
Challenge to next stage ~ 山本竜豪(KH)~
埼玉県に拠点を構える株式会社KH。
昨年まで福島レッドホープスで活躍していた山本竜豪選手が入社しました。
入社後まもなく1年を迎える株式会社KH・山本さんがインタビューに応じてくれました。
山本竜豪さんが福島レッドホープスに入団したのは2019年。南東北の名門・東日本国際大(福島県いわき市)からの入団だった。
「大学が同じ福島なので、レッドホープスのことはよく知ってました。BCリーグなら1年でNPBに行けますから、挑戦しようと」
トライアウトを受け、入団。
BCの大卒は「即戦力」が要求される。開幕当初は敗戦処理からスタートし、やがて中継ぎに昇格する。
2年目の2020年にはキャリアハイとなる28試合に登板し、福島のブルペンを支えた。
3年目。勝負の年と臨んだが、開幕前にアクシデントに襲われる。
「キャッチボールをしていたとき、左脚がしびれてきたんです」
病院に行ったが、そのときは原因は特定できなかった。
しかし開幕後、下半身の感覚がなくなり、歩くのも困難になる。
検査の結果、判明した病名は「黄色靭帯骨化症」。靭帯の一部が骨化する国指定の難病だった。
手術をしても完治する保証はない。引退の二文字も頭をよぎった。
迷いながら、岩村明憲監督との面談で事情を話す。
「来年の投手の枠は一つ空けておく。手術しなさい」
その言葉で山本さんは手術を決意する。
「決心がつきました。なんとしても戻ってこようと」
岩村監督の言葉を胸に、5月に手術を敢行。
リハビリを乗り越え、再びマウンドに立ったのは同年の9月10日、対信濃戦だった。
岩村監督の「来年」の約束を、山本さんは必死のリハビリで前倒ししたのだ。
「ファンの皆さんの励ましも支えになりました。球場でひとりひとりが声をかけてくれる。BCリーグのファンは本当に温かかったです」
2022年、任意引退を選択。
同年9月に行われた引退試合では先発し、先頭打者一人を三振に切って取り、交代。最後の花道を飾った。
その後、BCリーグが主催するセカンドキャリアセミナーで(株)KHの存在を知る。
出身の埼玉県で働けること、軟式野球部があることで就職を決めた。
現在の仕事はトラックドライバーで物流拠点への配送が主業務となる。
同時に社内の野球部のメンバーとしても活躍中だ。
2023年、セカンドキャリアセミナーにスピーカーとして参加したときのこと。
セミナー後、一人の選手が
「僕があのときのバッターでした」
引退試合で「最後のバッター」となった信濃の藤原大夢選手だった。
1年前に投手と打者で対戦した二人は、BCリーグのセカンドキャリアセミナーで再会したのである。
BCリーグの後輩へ送るアドバイスは、
「野球に集中できるBCリーグは、ウエ(NPB)を目指すにはいい環境です。だからこそ、終わるときは『やりきって』終わってほしい」
不屈の精神で難病を克服し、マウンドに帰ってきた山本さんらしいアドバイスだった。
(文責:ルートインBCリーグ)
【株式会社KH】
株式会社KHホームページ
【山本竜豪】
1996年生まれ。埼玉県出身。投手。飛龍高校卒業後、東日本国際大学を経て2019年に福島レッドホープスに入団。
昨年まで福島レッドホープスで活躍していた山本竜豪選手が入社しました。
入社後まもなく1年を迎える株式会社KH・山本さんがインタビューに応じてくれました。
東日本国際大から福島レッドホープスへ
山本竜豪さんが福島レッドホープスに入団したのは2019年。南東北の名門・東日本国際大(福島県いわき市)からの入団だった。
「大学が同じ福島なので、レッドホープスのことはよく知ってました。BCリーグなら1年でNPBに行けますから、挑戦しようと」
トライアウトを受け、入団。
BCの大卒は「即戦力」が要求される。開幕当初は敗戦処理からスタートし、やがて中継ぎに昇格する。
2年目の2020年にはキャリアハイとなる28試合に登板し、福島のブルペンを支えた。
3年目。勝負の年と臨んだが、開幕前にアクシデントに襲われる。
「キャッチボールをしていたとき、左脚がしびれてきたんです」
病院に行ったが、そのときは原因は特定できなかった。
しかし開幕後、下半身の感覚がなくなり、歩くのも困難になる。
検査の結果、判明した病名は「黄色靭帯骨化症」。靭帯の一部が骨化する国指定の難病だった。
「投手の枠は一つ空けておく」
手術をしても完治する保証はない。引退の二文字も頭をよぎった。
迷いながら、岩村明憲監督との面談で事情を話す。
「来年の投手の枠は一つ空けておく。手術しなさい」
その言葉で山本さんは手術を決意する。
「決心がつきました。なんとしても戻ってこようと」
岩村監督の言葉を胸に、5月に手術を敢行。
リハビリを乗り越え、再びマウンドに立ったのは同年の9月10日、対信濃戦だった。
岩村監督の「来年」の約束を、山本さんは必死のリハビリで前倒ししたのだ。
「ファンの皆さんの励ましも支えになりました。球場でひとりひとりが声をかけてくれる。BCリーグのファンは本当に温かかったです」
セカンドキャリアセミナーで「最後のバッター」と再会
2022年、任意引退を選択。
同年9月に行われた引退試合では先発し、先頭打者一人を三振に切って取り、交代。最後の花道を飾った。
その後、BCリーグが主催するセカンドキャリアセミナーで(株)KHの存在を知る。
出身の埼玉県で働けること、軟式野球部があることで就職を決めた。
現在の仕事はトラックドライバーで物流拠点への配送が主業務となる。
同時に社内の野球部のメンバーとしても活躍中だ。
2023年、セカンドキャリアセミナーにスピーカーとして参加したときのこと。
セミナー後、一人の選手が
「僕があのときのバッターでした」
引退試合で「最後のバッター」となった信濃の藤原大夢選手だった。
1年前に投手と打者で対戦した二人は、BCリーグのセカンドキャリアセミナーで再会したのである。
BCリーグの後輩へ送るアドバイスは、
「野球に集中できるBCリーグは、ウエ(NPB)を目指すにはいい環境です。だからこそ、終わるときは『やりきって』終わってほしい」
不屈の精神で難病を克服し、マウンドに帰ってきた山本さんらしいアドバイスだった。
(文責:ルートインBCリーグ)
【株式会社KH】
株式会社KHホームページ
【山本竜豪】
1996年生まれ。埼玉県出身。投手。飛龍高校卒業後、東日本国際大学を経て2019年に福島レッドホープスに入団。
年度 | 試合数 | 勝 | 敗 | S | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
2019 | 29 | 0 | 3 | 0 | 30 | 21 | 7.20 |
2020 | 24 | 2 | 8 | 0 | 56 2/3 | 29 | 6.19 |
2021 | 8 | 0 | 1 | 0 | 7 2/3 | 5 | 3.52 |
2022 | 13 | 0 | 1 | 0 | 18 | 9 | 9.00 |
通算 | 74 | 2 | 13 | 0 | 112 1/3 | 64 | 6.73 |